『雑詩(6首)』

其の一

翩 形 願 翹 過 孤 離 方 江 之 朝 高
翩 影 欲 思 庭 雁 思 舟 湖 子 日 臺
傷 忽 託 慕 長 飛 故 安 迥 在 照 多
我 不 遺 遠 哀 南 難 可 且 萬 北 悲
心 見 音 人 吟 遊 任 極 深 里 林 風




高臺多悲風 高台 悲風多く
朝日照北林 朝日 北林を照らす
之子在萬里 之の子 万里に在り
江湖迥且深 江湖 迥かに且つ深し
方舟安可極 方舟 安んぞ極す可けん
離思故難任 離思 故より任え難し
孤雁飛南遊 孤雁 飛びて南に遊び
過庭長哀吟 庭を過ぎって長く哀吟す
翹思慕遠人 思いを翹げて 遠人を慕い
願欲託遺音 願わくは遺音を託さんと欲す
形影忽不見 形影 忽ち見えず
翩翩傷我心 翩翩として我が心を傷ましむ
高い台(うてな)には激しい風が吹きつけ
さし昇る朝日が鬱々たる北の林を照らしている
想う君は万里のかなたにあって
横たわる江(かわ)や湖は広く深く
これでは立派な舟を浮かべても とても辿り着けそうもない
離ればなれに暮らすのはまことに堪えがたいことだ
群れをはぐれた一羽の雁が南方をめざし
庭を横ぎりながら長く哀しげに鳴いた
私はその声を聞きながら ますます遠くにある君のことが慕わしく思い出され
せめてこの想いを南へ向かう雁に託して伝えたいと願ったが
その婆はたちまち私の視界から消え去り
心はさらに悲しみの奥へ沈んでいった
【雑詩】「雑詩」とは、事物に感興をそそられて歌ったものという説と、タイトルが失われたものという説がある。この6首は同時につくられたものではないと推測されている。 【北の林】『詩経』「秦風 晨風」に、「鴥(いつ)たる彼の晨風、鬱たる彼の北林、未だ君子を見ず、憂いの心 欽欽たり、如何 如何、我を忘るること実に多き」とある。「晨風」は鷹のこと。これは不在の夫を想う妻の歌、あるいは賢人の招致に不熱心な君主を非難した歌ともいう。ここでは「我が君(=朝日)が小人ばかりを登用している」という寓意とも。 【想う君】原文「之子」。想う相手ではなく、曹植自身という解釈もある。 【立派な舟】原文「方舟」。大型船、当時の楼船か。人員や物資移送の主力になる。 

〔文選29〕


其の二

沈 去 薇 毛 捐 類 天 高 吹 何 飄 轉
憂 去 藿 褐 躯 此 路 高 我 意 颻 蓬
令 莫 常 不 遠 遊 安 上 入 迴 隨 離
人 復 不 掩 從 客 可 無 雲 飆 長 本
老 道 充 形 戎 子 窮 極 中 舉 風 根



轉蓬離本根 転蓬は本根を離れ
飄颻隨長風 飄颻として長風に隨う
何意迴飆舉 何んぞ意わん 迴飆の挙がり
吹我入雲中 我を吹きて雲中に入れんとは
高高上無極 高高と上りて極まり無く
天路安可窮 天路 安んぞ窮む可けん
類此遊客子 類たり 此の遊客子の
捐躯遠從戎 躯を捐てて遠く戎に従うに
毛褐不掩形 毛褐 形を掩わず
薇藿常不充 薇藿 常に充たず
去去莫復道 去り去りて復た道うこと莫かれ
沈憂令人老 沈憂 人をして老いしむ
転がる蓬はもとの根より離れ
遠く吹きすぎる風の向くまま
折から旋風がまき起こり
雲間へと吹き入れられた
高く高く果てしなく上ってゆくが
天の路には行き止まりがない
その様は まるでさすらう旅人が
身を投げうって遠く従軍するかのよう
短い皮ごろもは体を覆うには不足しているし
蕨や豆の葉でさえ飢えを充すに十分ではない
ああ 去っていくこの身でもう繰言は言うまい
深い悲しみは人をふけさせるだけだから
【転がる蓬】日本で言うところの「ヨモギ」とは違い、中国特有の植物。秋になると枯れて根元からすっぱり抜けて、まるまって風の吹くままにころがる。「転蓬」は、しばしば流浪の嘆きのたとえに使われる。『吁嗟篇』にも出てくる。  

〔文選29、藝文82〕


其の三

馳 願 嗷 飛 今 自 良 妾 悲 太 日 明 綺 西
光 為 嗷 鳥 已 期 人 身 嘯 息 昃 晨 縞 北
見 南 鳴 繞 歴 三 行 守 入 終 不 秉 何 有
我 流 索 樹 九 年 從 空 青 長 成 機 繽 織
君 景 羣 翔 春 歸 軍 閨 雲 夜 文 杼 紛 婦



西北有織婦 西北に織婦有り
綺縞何繽紛 綺縞 何ぞ繽紛たる
明晨秉機杼 明晨 機杼を秉り
日昃不成文 日 昃くも文を成さず
太息終長夜 太息して長夜を終え
悲嘯入青雲 悲嘯して青雲に入る
妾身守空閨 妾が身 空閨を守り
良人行從軍 良人 行きて軍に従う
自期三年歸 自ら期す 三年にして帰らんと
今已歴九春 今 已に九春を歴たり
飛鳥繞樹翔 飛鳥 樹を繞りて翔り
嗷嗷鳴索羣 嗷嗷として鳴いて群を索む
願爲南流景 願わくは南流の景と為り
馳光見我君 光を馳せて我が君に見えん
西北の方に機を織る女がいる
その織模様のなんとひどい乱れよう
朝早くから(ひ)を手にしながら
夕暮れになっても布地の模様が仕上がらない
ため息のうちに長い夜を明かし
嘆きの声は青い雲間に分け入っていく
「私はひとり寂しくこの空閏を守り
夫は軍に従って出て行ったっきり
「三年目には帰るよ」と約束したのに
いまはもう九度目の春
一羽の鳥が木のまわりを廻りながら
仲間を求め悲しげに鳴いた
ああ できるなら南に流れる太陽の
光となって 君のもとへ馳せて行きたい」
【抒】織具。これを左右に往来させて布地を織る。『古詩十九首』の第十に「繊繊として素手を擢(ぬき)んで、札札として機抒を弄す(ほっそりした白い手を抜き出し、素早く織具を往来させる)」とある。 

〔文選29、藝文32、御覧816〕


其の四

榮 俛 誰 時 夕 朝 容 南
燿 仰 爲 俗 宿 遊 華 國
難 歳 發 薄 瀟 江 若 有
久 將 皓 朱 湘 北 桃 佳
恃 暮 齒 顏 沚 岸 李 人



南國有佳人 南国に佳人有り
容華若桃李 容華 桃李の若し
朝遊江北岸 朝に 江北の岸に遊び
夕宿瀟湘沚 夕べに 瀟湘の沚に宿す
時俗薄朱顏 時俗は朱顏を薄んず
誰爲發皓齒 誰が為に皓歯を発かん
俛仰歳將暮 俛仰すれば 歳 将に暮れんとす
榮燿難久恃 栄燿 久しくは恃み難し
南国に美人がひとり
その美しさは桃か李(すもも)か
朝には長江の北岸に遊び
夕べには瀟湘のほとりに宿る
しかし世俗はこの美人を歓迎しない
彼女は誰の為にその白い歯を見せて微笑むのだろう
あっという間に今年も暮れようとしている
華の輝きもいつまでも続くものではない
【桃か李】『詩経』「召南」に「何ぞ彼の襛(しげ)れるは、華は桃李の如し」とある。 【朱顏・皓歯】あかい顔(赤ら顔ではない)と白い歯。どちらも美人を形容する言葉。「明眸皓歯」と言われるように、中国の美女は歯が命。 

〔文選29、藝文18〕


其の五

甘 閑 惜 願 淮 江 東 將 呉 遠 吾 僕
心 居 哉 欲 泗 介 路 騁 國 遊 將 夫
赴 非 無 一 馳 多 安 萬 為 欲 遠 早
國 吾 方 輕 急 悲 足 里 我 何 行 嚴
憂 志 舟 濟 流 風 由 塗 仇 之 遊 駕



僕夫早嚴駕 僕夫 早く駕を厳めよ
吾將遠行遊 吾 将に遠く行きて遊ばんとす
遠遊欲何之 遠遊して何くに之かんと欲する
呉國為我仇 呉国は我が仇たり
將騁萬里塗 将に万里の塗を騁せんとす
東路安足由 東路 安んぞ由るに足らん
江介多悲風 江介 悲風多く
淮泗馳急流 淮泗 急流を馳す
願欲一輕濟 願わくは一たび軽く済らんと欲すれども
惜哉無方舟 惜しいかな 方舟無し
閑居非吾志 閑居は吾が志に非ず
甘心赴國憂 甘心して国憂に赴かん
撲夫よ 馬車を急ぎ準備せよ
私はこれから遠征するのである
遠征してどこへ行くのか
呉の国はわが仇敵
いまや万里の道を馳せようとする我ら
東方への回り道などしていられようか
長江の辺りでは激しい風が吹き
淮水・泗水の急流が走っている
一気に渡りきってしまいたいと思っても
この河を越えられる船がないのが口惜しい
だが無為に過ごすのは本意であろうはずがない
覚悟を決めてこの国難に身を呈したいものだ
【撲夫よ、馬車を急ぎ準備せよ】「撲夫早嚴駕」を命令文で解釈したが、「撲夫(御者)は朝早くから厳重に車の準備をしている」との訳もある。 【東方への回り道】封地雍丘をさすという説が有力。雍丘は洛陽より東にある。「呉に向かいたいのに、雍丘へ回り道なんて、していられない」という意味になる。また、「東路」を「江東(呉)への道」の意味にとる解釈もある。 【長江の辺りでは激しい風が吹き】この一句は赤壁の敗戦を連想させる。曹植が208年の呉遠征に付き従ったことは、『自試を求むる表』などから推測される。当時、曹植は17歳だった。 

〔文選29〕


其の六

聆 絃 思 拊 甘 國 小 烈 朝 遠 臨 飛
我 急 欲 劍 心 讎 人 士 夕 望 牖 觀
慷 悲 赴 西 思 亮 婾 多 見 周 御 百
慨 風 太 南 喪 不 自 悲 平 千 櫺 餘
言 發 山 望 元 塞 閑 心 原 里 軒 尺



飛觀百餘尺 飛観 百余尺
臨牖御櫺軒 牖(いう)に臨んで櫺軒に御る
遠望周千里 遠望 千里に周く
朝夕見平原 朝夕 平原を見る
烈士多悲心 烈士 悲心多く
小人婾自閑 小人は自閑を婾(ぬす)む
國讎亮不塞 国讎 亮に塞がらず
甘心思喪元 甘心して元を喪わんことを思う
拊劍西南望 剣を拊して西南を望み
思欲赴太山 太山に赴かんと思欲す
絃急悲風發 絃急にして悲風発す
聆我慷慨言 我が慷慨の言を聆け
高楼のそびえること 百余尺
窓に立ち 格子窓の手摺りに寄りかかりながら
遥か千里の彼方を眺め
朝な夕な 私は茫漠と広がる平原を見ている
高節の士はしばしば傷心をいだき
つまらぬ輩は安逸をむさぼる
我が敵国はなお蠢動(しゅんどう)を止めないが
私は身命を賭して事に当たりたく思い
剣を撫でつつ 西方をまた南方を眺めやり
出征を告げるため泰山(たいざん)に赴かんと願う
弦の調べはいよいよ差し迫り 悲愁の響きを伝える
人々よ 私の憂憤に高ぶる歌声を聞け
【泰山】原文「太山」。山東省にある山。古来、重要な祭典が行われる場所で、出征の時も、この山で天にその旨を告げる。また泰山は、死後魂魄の帰っていくところであるから、決死の覚悟を主張するために使ったともとれる。 

〔文選29〕

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