『白馬篇』


視 捐 不 名 何 父 性 棄 左 長 厲 羽 胡 邊 勇 狡 俯 仰 右 控 楛 宿 揚 少 幽 借 連 白
死 躯 得 編 言 母 命 身 顧 驅 馬 檄 虜 城 剽 捷 身 手 發 弦 矢 昔 聲 小 并 問 翩 馬
忽 赴 中 壮 子 且 安 鋒 凌 蹈 登 從 數 多 若 過 散 接 摧 破 何 秉 沙 去 遊 誰 西 飾
如 國 顧 士 與 不 可 刃 鮮 匈 高 北 遷 警 豹 猴 馬 飛 月 左 參 良 漠 郷 侠 家 北 金
歸 難 私 籍 妻 顧 懐 端 卑 奴 堤 來 移 急 螭 猿 蹄 猱 支 的 差 弓 垂 邑 兒 子 馳 羈




白馬飾金羈 白馬 金羈(きんき)を飾り
連翩西北馳 連翩として西北に馳す
借問誰家子 借問す 誰が家の子ぞ
幽并遊侠兒 幽并(ゆうへい)の遊侠児
少小去郷邑 少小にして 郷邑を去り
揚聲沙漠垂 声を沙漠の垂に揚ぐ
宿昔秉良弓 宿昔 良弓を秉り
楛矢何參差 楛矢 何ぞ参差たる
控弦破左的 弦を控いて左的を破り
右發摧月支 右に発して月支(げっし)を摧く
仰手接飛猱 手を仰げて飛猱(ひどう)を接え
俯身散馬蹄 身を俯して馬蹄(ばてい)を散ず
狡捷過猴猿 狡捷なること猴猿に過ぎ
勇剽若豹螭 勇剽なること豹螭(ち)の若し
白馬に金のおもがいを飾り
西北めざして疾駆する
「あの若武者はどこのどなた」 と尋ねてみると
幽并出身の遊侠児にして
年若く郷里を離れ
名声を北方の沙漢地帯にまであげたお方だ」ということ
彼はその昔 良弓を取りだし
ひとたび不揃いの矢を手にすれば
弦を引きしぼって左的を破り
右に放って月支を砕き
上にめがけて飛猱を迎え射ち
身を伏しては 馬蹄を貫いた
その素早い動きは 山猿にもまさり
その勇ましさはまるで豹か螭かと見紛うばかりだ
【『白馬篇』】製作年代は建安年間。この篇は魏の名将張遼の匈奴征伐(207年)をうたったものだという説と、曹植自身の体験による写実であるとする説がある。個人的にはこの詩を読むと曹彰を思い出すのだが、兄をモデルにしたという説はない。 【金のおもがい】原文「金羈」。「羈」は、轡(くつわ)を飾るため、頭から頬にからむ組糸のこと。 【幽并】幽州と并州。州は上位の行政区域。現在の河北・山西・陝西省の一部。古来、勇士を多く輩出する土地として知られる。 【左的・月支・飛揉・馬蹄】すべて的(まと)の名前。それぞれ左右上下に置かれた。弓場で技を競うときの的。曹植が騎射(=馬に乗って駆けながら弓で的を射抜く)を出来たかどうかは正史などに書かれていないが、曹植の息子の曹志は騎射が上手かったらしい。封地に赴いて以来、曹植の周辺には家族と二流以下の武官や文官しかいなかったから、騎射を教えたのは曹植かもしれない。口だけで教えるというわけにもいかないから、手本を見せて教えてあげるぐらいは出来たのだろう。 【螭(ち)】竜に似た想像上の猛獣。 

 
邊城多警急 辺城 警急多く
胡虜數遷移 胡虜 数ゝ遷移す
羽檄從北來 羽檄 北より来たり
厲馬登高堤 馬を厲まして高堤に登る
長驅蹈匈奴 長駆して匈奴を蹈み
左顧凌鮮卑 左顧して鮮卑を凌がん
棄身鋒刃端 身を鋒刃の端に棄つ
性命安可懐 性命 安んぞ懐う可けん
父母且不顧 父母すら且つ顧みず
何言子與妻 何ぞ 子と妻とを言わん
名編壮士籍 名を壮士の籍に編ぜらるれば
不得中顧私 中に私を顧みるを得ず
捐躯赴國難 躯を捐てて国難に赴く
視死忽如歸 死を視ること忽ち帰するが如し
辺境の城塞は緊急の事態が多く
夷(えびす)の兵がしばしば侵入してくる
そのため 至急の召集令状が北から届くと
若武者は馬を励まし長城に登ることになる
遠く馳せて匈奴を蹴散らし
左に返して鮮卑を打ち破る
この身を鋒(ほこ)や刃の前で棄てることになっても
命が惜しいなどと思わない
父母さえ顧みないこの若武者は
まして妻子に未練を残したりしないのだ
壮士として名を残すからには
私情にかまけている暇はない
我が身を賭して国難に赴く以上
死を迎えることさえ我が家に帰るような心安さだ


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