『七啓』

昔枚乘作七發、傳毅作七激、張衡作七辯、崔駰作七依。辭各美麗。余有慕之焉。遂作七啓、并命王粲作焉。 昔 枚乗は七発を作り、傳毅は七激を作り、張衡は七辯を作り、崔駰は七依を作る。辞 各ゝ美麗なり。余 之を慕う有り。遂に七啓を作り、并せて王粲に命じて作らしむ。  昔、枚乗(ばいじょう)は「七発」を作り、傅毅(ふき)は「七激」を作り、張衡(ちょうこう)は「七辯」を作り、崔駰(さいいん)は「七依(ひちい)」を作った。どの文章もそれぞれにたいへん美しい。私はこれらを心から愛した。そこで「七啓」を作り、あわせて王粲にも「七釈」を作らせた。
【『七啓』】序に言うように、曹植以前にも「七」を冠した作品は多く作られたが、『文選』に収録された七啓八首はこの『七啓』を含め、3作品。文選集注によると、曹植と同時代の文人では、王粲の「七釈」、徐幹の「七諭」、楊脩の「七訓」が存在したとされる。異本では曹植自身の序文として以下を載せる。「啓は開なり。天下を開発して正道に帰せしめんと欲す。故に言を託す。賢人、山中に在りて明君を待ち、而る後に出でんとす。明賢の崇ばんことを冀(こいねが)うなり」 。人材登用に熱心だった曹操は、何度も布令を出して天下の賢才を求めていた。これはおそらくそんな父の意を汲んで、人材獲得キャンペーンのために作られた20歳前後の作品。遅くとも王粲が亡くなった217年以前(25歳以下)の作。『七啓』は曹植の現存する作品のうち最も長いものである。「陳思の七啓、美を宏壮に取る(『文心雕龍』第14「雑文」)」と評される華麗な文言は、最後の段に到った時、すべて父を賞賛するために仕掛けられた巧妙な伏線だったと気付かされる。 

( 第一段 )

玄微子隱居大荒之庭、飛遯離俗、澄神定靈。輕祿傲貴、與物無營。耽虚好静、羨此永生、獨馳思乎天雲之際、無物象而能傾。於是鏡機子聞、而將往説焉。駕超野之駟、乘追風之輿、經迥漠出幽墟、入乎泱漭之野、遂届玄微子之所居。其居也、左激水、右高岑、背洞渓、對芳林。冠皮弁、被文裘、出山岫之潜穴、倚峻崖而嬉遊。志飄飄焉嶢嶢焉、似若狹六合、而隘九州。若將飛而未逝、若擧翼而中留。 玄微子 大荒の庭に隠居し、飛遯して俗を離れ、神を澄まし霊を定む。禄を軽んじ貴に傲り、物と営むこと無し。虚に耽り静を好み、此の永生を羨やんで、独り思いを天雲の際に馳せ、物象の能く傾くる無し。是に於いて鏡機子 聞いて、将に往きて説かんとす。超野の駟に駕し、追風の輿に乗り、迥漠を経 幽墟に出で、泱漭の野に入り、遂に玄微子の居る所に届る。其の居や、激水を左にし、 高岑を右にし、洞渓に背き、芳林に対す。皮弁を冠にし、文裘を被り、山岫の潜穴を出で、峻崖に倚りて嬉遊す。志 飄飄たり嶢嶢たり、六合を狭しとし、九州を隘しとするが若しに似たり。将に飛ばんとして未だ逝かざるが若く、翼を挙げて中ごろ留まるが若し。  玄微子は、大荒の地に隠居し、遁世して世俗から離れ、精神を清澄にして命数を定めた。爵禄を軽んじて高貴なものを蔑み、物に執らわれて心を労することはない。虚静の道を好み楽しんで、あの長生の術を願い、独り思いを天雲の遙かかなたに馳せて、物のすがた形に心を動かし傾けることはなかった。このことを耳にした鏡機子は、玄微子の所に出かけて行って自論を説こうと思った。四頭立ての足の速い馬を走らせ、追風をうけて走る軽快な車に乗り、遠く砂漠の所を過ぎてはるかな廃墟の地に到り、さらに広々とした野に分け入って、遂に玄微子の居る所に辿り着いた。その住まいは激流を左にし、高峰を右にし、深い渓谷を背にし、芳しい樹木の林を前にしている。玄微子は鹿皮の冠をつけ、毛に模様のある狐の皮衣を着て、山の洞穴の深いことろから現われては、険しい断崖で楽しみ遊ぶ。その志は世俗を超えてはるかに遠く、高々と抜きん出ている。あたかも天下も狭しとし、中国全土も小さいものと見なすかのようである。鳥に喩えると、今にも飛び立とうとしてまだ飛び立っていない状態であり、翼を広げて、中空でとどまっているようでもある。
【玄微子・鏡機子】玄微子は曹植が創作したフィクションの道家の隠者。玄微は幽玄精微の意味。鏡機子は玄微子に対して作られた名前。鏡は照、機は微の意味。 【大荒の地】『山海経』に「大荒の中に山有り、名を曰く、大荒の山。日月の入るところ」とある。 

於是鏡機子、攀葛藟而登、距巖而立、順風而稱曰、予聞、君子不遯俗而遺名、智士不背世而滅勳。今吾子棄道藝之華、遺仁義之英、耗精神乎虚廓、廢人事之紀經。譬若畫形於無象、造響於無聲。未之思乎。何所規之不通也。玄微子俯而應之曰、嘻有是言乎。夫太極之初、渾沌未分、萬物紛錯、與道倶隆。蓋有形必朽、有跡必窮。芒芒元氣、誰知其終。名穢我身、位累我躬。竊慕古人之所志、仰老莊之遺風、假靈龜以託喩、寧掉尾於塗中。 是に於て鏡機子、葛藟を攀じ登り、巌に距りて立ち、風に順いて称して曰く、「予 聞く『君子は俗を遯れて名を遺てず、智士は世に背いて勲を滅せず』と。今 吾子は道芸の華を棄て、仁義の英を遺て、精神を虚廓に耗やし、人事の紀経を廃す。譬えば形を無象に画き、響を無声に造すが若し。未だ之を思わざるか。何ぞ規る所の通ぜざる」と。玄微子 俯して之に応えて曰く、「嘻(ああ)、是の言有るか。夫れ太極の初め、渾沌 未だ分かれず、万物 紛錯して、道と倶に隆んなり。蓋し形有れば必ず朽ち、跡有れば必ず窮まる。芒芒たる元気、誰が其の終わりを知らん。名は我が身を穢し、位は我が躬を累(わずら)わす。窃かに古人の志す所を慕い、老荘の遺風を仰ぎ、霊亀を仮りて以て喩えを託し、寧ろ尾を塗中に掉(うごか)さん」と。  そこで鏡機子は蔦葛を伝ってよじ登り、大きな岩の上に立ち、風を背にしてこう言った。
「私は聞いています。『立派な君子は俗世を逃れて名誉を捨てることはしないし、智士は世間に背いて勲功を失うことはしない』と。いま、あなたは社会に対して成すべきことを放棄し、仁義の道を棄て去って、ただ虚空の道で精神を消耗し、人間としての常理を廃しておられる。譬えるなら、それは像がないところに形を描き、音のないところに響きを作り出そうとするのと同じです。そんなことは不可能だと思いませんか。あなたのなされることは全く理解できません」
 玄微子は顔をふせて答えて言った。
「ああ、なんというおっしゃりようでしょう。そもそも太極の初め、すべては混沌としていまだ分かれず、万物は入り乱れ、道とともに隆盛を極めておりました。形あるものは必ず朽ち果てますし、跡を生ずれば、あとは尽き果てるのを待つだけです。しかし、広大茫茫とした元気のままであるなら、誰がその終わりを知り得ましょう。俗世での名声は自分の身を汚し、官位は我が身を煩わすだけです。私は心ひそかに古人の志した所を慕い、老荘の遺風を仰ぎ、神亀の喩えに託して、やはり尾を泥中に曳き動かして生を全うしたいと思います」
【神亀の喩え】『荘子』「秋水篇」にある話。「荘子、濮水に釣す。楚王、大夫二人をして往かして先かしむ。曰く、「願わくは竟内を以って累わさん」と。荘子、竿を持ち顧ずして曰く、「吾聞く、楚に神亀あり。死して巳に三千歳。王の巾笥してこれを廟堂の上に蔵(おさ)む、と。此の亀は、寧ろ其れ死して骨を留めて貴ばれることを為さんか、寧ろ其れ生きて尾を塗中(とちゅう)に曳かんか」と。二大夫曰く、「寧ろ其れ生きて尾を塗中に曳かん」と。荘子曰く、「往け。吾将に尾を塗中に曳かんとす。」(大意:「荘子は濮水で釣りをしていた。楚王は二人の家老を使者にして、荘子を招聘しようとした。「どうか国内の政治をあなたにお任せしたいのです」と彼らが言うと、荘子は釣竿を手にしたまま、振り返りもせずこう訊ねた。「私の聞くところでは、楚の国には神霊のやどった亀がいて、死んでからもう三千年も経っているという。王はそれを絹の布で包み、廟堂(びょうどう)で大切に保管しているそうだが、ところでその亀は、死んで甲羅を残し貴ばれることを望んでいただろうか、それとも生きて泥の中で尾を引きずることを願っていただろうか」二人の家老は答えた。「それはもちろん生きて泥の中で尾を引きずる方を望むでしょうね」荘子は言った。「さあ、行きなさい。私はこうして泥の中の尾を引きずって生きていくのだ」) 

鏡機子曰、夫辯言之豔、能使窮澤生流、枯木發榮。庶感靈而激神、況近在乎人情。僕將爲吾子、説游觀之至娯、演聲色之妖靡、論變化之至妙、敷道徳之弘麗。願聞之乎。玄微子曰、吾子整身倦世、探隱拯沈、不遠遐路、幸見光臨。將敬滌耳、以聽玉音。 鏡機子 曰く、「夫れ弁言の豔(えん)なる、能く窮沢をして流れを生じ、枯木をして栄を発かしむ。庶わくは霊を感ぜしめ神は激せん、況んや近く人情に在るをや。僕 将に吾子の為に、游観の至娯を説き、声色の妖靡(えんび)を演じ、変化の至妙を論じ、道徳の弘麗を敷べんとす。之を聞くことを願うか」と。玄微子 曰く、「吾子 身を整え 世に倦み、隠を探して沈を拯わんとし、遐路を遠しとせず、幸いに光臨せらる。将に敬んで耳を滌ぎ、以て玉音を聴かんとす」と。  鏡機子は言った。
「真に巧妙で艶麗な言葉は、干上がった沢にも流れを生み出し、枯れ木にも花を咲かせることが出来るといいます。私はこの弁舌でもって神霊をも感激させたく思う人間です。ましてや身近な人の心を感動させることについては尚更です。僕はこれからあなたのために、遊覧の至上の娯しさを説明し、好ましい音楽や美しい女性について語り、移り行く事物の至妙を論じ、道徳の美麗なることを説き明かしましょう。あなたはこれを聞きたいと思いませんか」
 玄微子は言った。
「あなたはご自分の身を正して世俗のことに関わり、すぐれた隠者を探して低い位から拾い上げようとし、このような遠路を厭わず、ここにお見えになりました。ならば私は慎んで耳を洗い清め、あなたのご意見をうかがいたいと思います」


( 第二段 )

鏡機子曰、芳菰精粺、霜蓄露葵、玄熊素膚、肥豢膿肌。蝉翼之割、剖纖析微、累如疊穀、離若散雪、輕随風飛、刀不轉切。山鵽斥鷃、殊翠之珍、寒芳苓之巣龜。膾西海之飛鱗、臛江東之潛鼉、臇漢南之鳴鶉。糅以芳酸、甘和既醇。玄冥適鹹、蓐收調辛、柴蘭丹椒、施和必節。滋味既殊、遺芳射越。 鏡機子曰く、「芳菰 精粺、霜蓄 露葵、玄熊の素膚、肥豢の膿肌。蝉翼の割、纖を剖き微を析ち、累ること穀を疊むが如く、離るること雪の散ずるが若く、軽くして風に随いて飛び、刀 転切せず。山鵽斥鷃、殊翠の珍、芳苓の巣亀を寒り、西海の飛鱗を膾にし、江東の潛鼉(せんだ)を臛にし、漢南の鳴鶉を臇にす。糅うるに芳酸を以てし、甘和 既に醇し。玄冥 鹹を適え、蓐收 辛を調え、柴蘭 丹椒、施和 必ず節あり。滋味 既に殊に、遺芳 射越す。  鏡機子は言った、
「芳しい菰(こ)と精白した稗を主食とし、霜のおりた蓄や露を置いた葵の美味な野菜、そして黒い熊の白い肉と肥えた豚の肉を準備します。それらは蝉の羽のように薄く割かれ、繊細に切り分けられ、その薄く重ねられた様子はちりめんを畳んだようであり、その並べられたさまは雪を散らしたようであり、あまりの軽さで風にも飛ばされそうであり、刀に纏わりついて上手く切ることさえ出来ません。山のスズメに沢のウズラ、真珠貝の柱肉、蓮の汀に巣くう亀を炙り肉とし、西海の飛び魚を膾にし、江東の水中に潜むワニをスープにし、漢水の南に鳴く鶉を炒め物にします。香りや酸味を加え、その甘みは濃厚です。北方の神・玄冥(げんめい)が塩加減を調え、西方の神・蓐收(じょくしゅう)が辛さを程よくし、香り高い紫の香草や赤い山椒を添えて、その味わいはまことに絶妙です。料理の味は格別においしく、その芳しい香りは辺り一面に漂っていきます。


乃有春清縹酒、康狄所營、應化則變、感氣而成。彈徴則苦發、叩宮則甘生。於是盛以翠樽、酌以雕觴。浮蟻鼎沸、酷烈馨香。可以和神、可以娯腸。此肴饌之妙也。子能從我而食之乎。玄微子曰、予甘藜藿。未暇此食也。 乃ち春清の縹酒有り、康狄の営む所、化に応じて則ち変じ、気に感じて成る。徴を弾ずれば則ち苦発し、宮を叩けば則ち甘生ず。是に於て盛るに翠樽を以てし、酌むに彫觴を以てす。浮蟻 鼎沸し、酷烈 馨香あり。以て神を和らぐ可く、以て腸を娯しましむ可し。此れ肴饌の妙なり。子 能く我に従って之を食らわんか」と。玄微子 曰く、「予 藜藿(れいかく)を甘しとす。未だ此れを食也らう暇あらざるなり」と。  そこで春造りの緑白色の酒の登場です。これは、名匠・杜康や儀秋が造ったもので、自然の変化に応じて次第に醸され、四季を重ねて出来上がりました。《徴》の音を弾けばその味は苦くなり、《宮》の音をたたけばその味は甘みを生ずるといった繊細さです。かくしてこの美酒で翡翠の酒樽を満たし、細やかに彫刻のほどこされた盃でいただきます。ふつふつと酒粕が浮び上がり、強い香りが立ちのぼります。まことに精神を和らげ、胃腸を楽しませることができます。これこそ最上の贅沢というものです。あなたも私とともにこのようなご馳走を食べてみませんか」
 玄微子は答えて言った。
「私は藜や豆の葉で十分に美味しいと思っています。そのようなものをいただくつもりはありません」


( 第三段 )

鏡機子曰、歩光之劍、華藻繁縟、飾以文犀、雕以翠緑、綴以驪龍之珠、錯以荊山之玉。陸斷犀象、未足稱雋、随波截鴻、水不漸刀。九旒之冕、散燿垂文、華組之櫻、從風紛紜。佩則結緑懸黎、寶之妙微。符采照爛、流景揚輝。 鏡機子 曰く、「歩光の剣、華藻 繁縟、飾るに文犀を以てし、彫るに翠緑を以てし、綴るに驪龍の珠を以てし、錯うるに荊山の玉を以てす。陸に犀象を絶つも、未だ雋と称するに足らず、波に随いて鴻を截るも、水 刀を漸さず。九旒の冕、燿を散じ文を垂れ、華組の櫻、風に従って紛紜たり。佩は則ち結緑・懸黎、宝の妙微なり。符采は照爛し、景を流し輝を揚ぐ。  鏡機子は言った。
「そこには名刀《歩光》があります。その美しい飾りはたいへんきらぴやかで、模様のある犀の角で飾り、上等な青緑色の玉をちりばめ、黒龍のおとがい下にある珠をつづり、荊山の名玉を交えます。陸上で犀や象を切断できても、まだ名品と称するには不十分、これは波間の鴻(おおとり)を断ち切っても、水滴一つ残らないという鋭利さです。また、頭上には九本の垂れ玉のついた諸侯の冠、それは光り輝いて美しい模様を作り、華やかな冠ひもは、風に吹かれてひらひらたなぴきます。佩玉(おびだま)は宋の《結緑(けつりょく)》、梁の《懸黎(けんり)》といった最上の品で、宝玉として至高の美しさを誇るものです。玉の表面にはくっきり模様が浮かび上がり、光をたたえて輝きを増しています。
【歩光】越王・勾践が身に着けていた剣の名前。 【黒龍のおとがいの下にある珠】『荘子』「列御寇」に「夫れ千金の珠は必ず九重の淵にして、驪龍(りりゅう)の頷(あご)の下にあり」とある。 【荊山の名玉】和氏の壁のこと。 【九本の垂れ玉のついた諸侯の冠】ビーズつき簾みたいなののついた冠のこと。諸侯は9本で天子は12本らしい。魏の文帝(曹丕)の肖像で確認してみたけど、11本しか数えられなかった… 

黼黻之服、紗穀之裳、金華之舄、動趾遺光。繁飾參差、微鮮若霜。緄珮綢繆、或彫或錯、薫以幽若、流芳肆布。雍容閒歩、周旋馳曜。南威爲之解顏、西施爲之巧笑。此容飾之妙也。子能從我而服之乎。玄微子曰。予好毛褐。未暇此服也。 黼黻の服、紗穀の裳、金華の舄(くつ)、趾を動かせば遺光あり。繁飾 参差として、微鮮 霜の若し。緄珮は綢繆し、或いは彫り或いは錯め、薫ずるに幽若を以てし、流芳 肆なり布く。雍容と閑歩し、周旋して燿を馳す。南威 之が為に顔を解き、西施 之が為に巧笑す。此れ容飾の妙なり。子 能く我に従いて之を服せんか」と。玄微子 曰く、予 毛褐を好む。未だ此の服に暇あらざるなり」と。  美しい刺繍の施された服と、縮みの薄絹の袴、金の花で飾られた履(くつ)は足の動きにつれて光を残します。多くの装飾が施され、その微妙な美しさは霜の輝きのような爽やかさです。織り帯の佩玉は連なって、飾られたり散りばめられたりしています。杜若の芳香を薫き染め、素晴らしい香りを放っています。そのような姿でゆるやかに歩を進め、くるり廻れば、まるで美しい光を生じるようです。これを見ると、かの南威も表情を和らげ、西施もにっこりと顔をほころばせます。これは実に服飾のもっとも素晴らしいものと言えます。あなたは私についてこれを身につけませんか」
 玄微子は答えて言った。
「私はただの毛の衣が好きです。そのような立派な服装をしたいとは思いません」
【南威・西施】ともに有名な美女。前者は晋の文公が心惑わされて政務を忘れ、後者は越王からの貢物として呉王不差に与えられた中国四大美女のひとり。西施は病気がちで、痛む胸をおさえて眉を顰(ひそ)めた姿が悩ましいほど美しかったため、他の女たちは自分の顔貌も考えずに、その表情を真似したとい故事から、「顰(ひそみ)にならう」という言葉が生まれた。 



( 第四段 )



鏡機子曰、馳騁足用蕩思、游獵可以娯情。僕將爲吾子駕雲龍之飛駟、飾玉輅之繁纓。垂宛虹之長緌、抗招搖之華旍、捷忘歸之矢、秉繁弱之弓、忽躡景而輕騖、逸奔驥而超遺風。於是磎填谷塞、榛藪平夷。縁山置罝、彌野張罘、下無漏跡、上無逸飛。鳥集獸屯、然後會圍。獠徒雲布、武騎霧散、丹旗曜野、戈殳晧旰。曳文狐、掩狡兎、捎鷫鷞、拂振鷺。當軌見藉、値足遇踐。飛軒電逝、獣随輪轉。翼不暇張、足不及騰、動觸飛鋒、擧挂輕罾。捜林索險、探薄窮阻、騰山赴壑、風厲焱擧。機虚發、中必飮羽。 鏡機子 曰く、「馳騁は用って思いを蕩うに足り、游獵は以て情を娯しましむ可し。僕 将に吾子の為に雲龍の飛駟に駕し、玉輅の繁纓を飾らんとす。宛虹の長緌(ちょうずい)を垂れ、招搖の華旍を抗げ、忘帰の矢を捷み、繁弱の弓を秉り、忽として景を躡んで軽く騖(は)せ、奔驥を逸ぎて遺風を超えん。是に於て磎 填まり谷 塞がり、榛藪 平夷なり。山に縁りて罝(あみ)を置き、野に彌りて罘を張り、下に漏跡無く、上に逸飛無し。鳥 集まり 獸 屯まり、然る後に会囲す。獠徒 雲のごとく布き、武騎 霧のごとく散じ、丹旗 野を曜らし、戈殳 晧旰たり。文狐を曳き、狡兎を掩い、鷫鷞を捎(う)ち、振鷺を拂つ。軌に当たりて藉(し)かれ、足に値いて踐まる。飛軒 電のごとく逝き、獣 輪に随って轉る。翼 張るに暇あらず、足 騰ぐるに及ばず、動けば飛鋒に觸れ、擧がれば軽罾に挂る。林を捜り 険を索め、薄を探り 阻を窮め、山に騰り 壑(たに)に赴き、風のごとく厲しく 焱のごとく挙がる。機は虚しく発せず、中れば必ず羽を飲む。  鏡機子は言った。
「馬を駆け走らせれば気持ちが晴れ晴れしますし、狩りは実に心躍らせる楽しみです。私はあなたのために名馬を4頭用意し、それぞれを玉飾りのある馬帯や紐で飾りつけましょう。虹模様の長い旗飾りを垂れ、北斗の招揺星を描いた華麗な旗を揚げ、忘帰の矢をたはさんで、繋弱(はんじゃく)の弓を手に取り、影も残さぬ速さで疾駆して、駿馬を追い越し、名馬《遺風》も超えていきます。この時において、獲物は谷という谷を埋め尽くし、草沢に満ち溢れています。山合いに仕掛け罠を張り、野辺一面に網を巡らすと、下では獣たちを取り逃がしたあとはなく、上では撃ち漏らした鳥どもはおりません。鳥が網を逃れて集まりだしたのち、その周囲を囲みます。猟卒たちは雲の広がるように展開され、騎馬隊はわき立つ霧のように繰り出され、赤い旗が野に輝き、矛がきらきら白く光ります。毛に模様のある狐を引き据え、足の速い兎をおおい取り、《鷫鷞(しゅくそう)》・《振鷺(しんろ)》といった鳥たちの群れもみな打ち払います。車輪に当たって轢かれ、足に蹴られて踏みつけられ、車は猛然と走り去り、獣は巡る車輪にあわせて倒されていきます。鳥たちは翼を広げて飛び立つ隙も与えられず、獣たちは足をはね上げて駆け出すこともできぬ間に、動けば飛んでくる矢の餌食となり、飛び上がれば軽く張った網に掛かります。林や険しい所まで捜し求め、草むらの中や険阻な場所をくまなく探り、山を駆け登り谷間に赴き、風が吹くようにはげしく、火花をまき散らしたように進んでいきます。石弓は必ず命中し、命中した矢は羽根すら見えないほど深く刺さります。



於是人稠網密、地逼勢脅、哮闞之獸、張牙奮鬣。志在觸突、猛氣不摺。乃使北宮東郭之疇、生抽豹尾、分裂貙肩。形不抗手、骨不隱拳。批熊碎掌、拉虎摧斑。野無毛類、林無羽羣、積獸如陵、飛翮成雲。於是駴鐘鳴鼓、收旌弛旆、頓網縱綱、罷獠廻邁。駿騄齊驤、揚鑾飛沫。俯倚金較、仰撫翠蓋、雍容暇豫、娯志方外。此羽獵之妙也。子能從我而觀之乎。玄微子曰、余樂恬靜。未暇此觀也。 是に於て人 稠く 網 密に、地 逼り 勢い脅り、哮闞の獣、牙を張り鬣を奮う。志 觸突に在り、猛気 摺れず。乃ち北宮東郭の疇をして、生きながら豹尾を抽き、貙肩を分裂せしむ。形 手を抗げず、骨 拳を隱かず。熊を批ちて掌を砕き、虎を拉りて斑を摧く。野に毛類無く、林に羽群無く、獣を積むこと陵の如く、飛翮 雲を成す。是に於て鐘を駴し鼓を鳴らし、旌を收め旆を弛め、網を頓て綱を縦め、獠を罷めて廻り邁く。駿騄 斉しく驤せ、鑾を揚げ沫を飛ばす。俯して金較に倚り、仰いで翠蓋に撫い、雍容暇豫して、志を方外に娯しましむ。此れ羽猟の妙なり。子 能く我に従いて之を観んか」と。玄微子 曰く、「余 恬静を楽しむ。未だ此の観に暇あらざるなり」と。  さて、人々は多く集まり、網は緻密に張られ、居場所は狭まり、外の勢いは強まって、獣たちは怒り吼えて、牙を剥き出し、鬣(たてがみ)を震わせます。攻撃しょうとする気配を見せ、その猛々しさが萎えることはありません。そこで、《北宮黝(ほくきゅうゆう)》や《東郭》の如き勇者に、生きた豹の尾を引き抜かせ、貙(ちう)の肩を引き裂かせます。獣は素手でたやすく仕留められ、その拳にかかれば骨さえ問題になりません。熊を手で打ってその掌を砕き、虎を押さえつけてその斑模様の毛皮を破ります。すでに野に動く獣の姿はなく、林に飛ぶ鳥の影も見えず、丘の如く積み重ねられた獲物の山と、それを狙う鳥たちが雲のように群がっています。そこで鐘や太鼓を打ち鳴らし、旗を降ろし、網をはずしてゆるめ、猟をやめて帰途に着きます。どの馬も疾駆し、鈴を鳴らして、泡を飛ばして進んでいきます。車に乗った人々は金で飾った横木に寄りかかり、翡翠の羽で飾られた車蓋を撫でながら、のんぴりとくつろぎ楽しみ、思いは世俗を超えた世界で娯しみます。これは狩猟の至上の楽しみです。あなたは私に従ってこれらを見たいと思いませんか」
 玄微子は言った、
「私は閑静を楽しんでいるのです。このような狩りを見物する暇などありません」
【( 第四段 )】曹植が狩り好きだったという話は聞かないが、狩りは戦争シュミレーションの意味もあるため、支配者には必要な素養とされている。この段の描写によると、狩りは大掛かりで組織的な激しいものらしい。しかも、捕まえたものを食べるというわけではなく、狩るという行為そのものに意味があるようだ。 



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