『光禄大夫荀候の誄』

如冰之清、如玉之潔。法而不威、和而不褻。百寮欷歔、天子霑纓。機女投杼、農夫輟耕。輪結輒而不轉、馬悲鳴而倚衡。 冰の清き如く、玉の潔き如し。法にして威れず、和にして褻(けが)れず。百寮 欷歔し、天子 纓を霑す。機女は杼を投じ、農夫は耕すを輟む。輪は結輒として轉(まわ)らず、馬は悲鳴して倚衡す。 氷のように清く、玉のように潔白な方だった。威厳に満ちていたが威張らず、和やかだったが礼を欠くことはなかった。臣僚たちは嘆き悲しみ、天子も頬を濡らされる。機織り娘は杼(ひ)を投げ出し、農夫は耕すのを止めた。車輪は軋むばかりで巡らず、馬は悲しい声をあげて前に進みません。 
【『光禄大夫荀候の誄』】荀彧(163-212)は曹植が生まれた頃から曹操に仕えた功臣。しかし、曹操と考え方を異にする点があったため、次第に君臣の心は離れ、最後は自殺を命じられた。曹操に殺されたかもしれない荀彧に対し、曹植が誄を書くというのはどういう経緯であったのかわからないが、通常、誄は個人的に親しかった人に対して書くものなので、曹植は荀彧と懇意にしていたのだろう。一般的に、誄は故人の家系の説明から始まり、その人のひととなり、功績、書き手との思い出などを書き連ね、最後に哀悼の言葉を載せる。曹植の他の人に対する誄が比較的原型を保っているのに対し、荀彧の誄は、ひととなりと哀悼の言葉の一部という断片的なものしか伝わらない。これは現存する曹植の書いた誄の中では最も若い時に書かれた作品である。 

|戻る|

inserted by FC2 system