『君に事うる行に当う』


人生有所貴尚 人生 貴尚する所有り
出門各異情   門を出ずれば各ゝ 情を異にす
朱紫更相奪色 朱紫 更も相い色を奪い
雅鄭異音聲   雅鄭 音声に異なる
好惡隨所愛憎 好悪 愛憎する所に随い
追舉逐聲名   追い挙げて声名を逐う
百心可事一君 百心もて一君に仕える可けん
巧詐寧拙誠   巧詐 拙誠に寧れぞ
人にはそれぞれ尊重するものがあり
門を出ればそれぞれ想いは異なる
朱色と紫色は互いに色を奪い合っているが
朝廷の正式な音楽と鄭の淫らな音楽では音色が異なる
好悪は愛憎の感情に流され
偽りの名声を追いかけるばかり
百の心で一人の君主に仕えることができようか
うわべの巧みさ不器用な誠実さに及ばないのだ
【『當事君行』】晩年の曹植は人材登用に関する不満を詩・賦・表などで繰り返し述べていて、この作品もそのうちのひとつ。『曹植集校注』では太和年間の作品としている。  【朱色と紫色】朱は正色で紫は間色。『論語』「陽貨第17」に「惡紫之奪朱也。悪鄭聲之亂雅樂也。(紫の朱を奪うばうを悪む。鄭声の雅楽を乱るを悪む。)」とあり、朱色と雅楽が正統で、紫色と鄭声がそれらの正しさを乱すものとしている。また、『後漢書』「左雄傳」に「朱紫同色、清濁不分。(朱紫 色を同じくし、清濁 分たれず。)」 とあり、善悪正邪が混在している様子を表している。【百の心で一人の君主に仕える】『晏子春秋』「内篇問下」に「一心可以事百君、三心不可以事一君。(一つの心であれば 百君にでも仕えることができるが、三つの心では一人の君主にも仕えることはできない。)」とある。 【うわべの巧みさ・不器用な誠実さ】『韓非子』「説林上」に「巧詐不如拙誠。(巧詐は拙誠に如かず)」とあり、『三国志』「劉曄伝』の注にもことわざとして引用されている。

|戻る|

inserted by FC2 system