箜篌引(くごいん)

  知 先 零 生 百 盛 光 驚 磬 謙 薄 久 賓 主 緩 樂 京 陽 齊 秦 烹 中 親 置
  命 民 落 存 年 時 景 風 折 謙 終 要 奉 稱 帶 飲 洛 阿 瑟 箏 羊 廚 友 酒
  復 誰 歸 華 忽 不 馳 飄 欲 君 義 不 萬 千 傾 過 出 奏 和 何 宰 辦 從 高
  何 不 山 屋 我 可 西 白 何 子 所 可 年 金 庶 三 名 奇 且 慷 肥 豐 我 殿
  憂 死 丘 處 遒 再 流 日 求 德 尤 忘 酬 壽 羞 爵 謳 舞 柔 慨 牛 膳 遊 上




置酒高殿上 置酒す 高殿の上
親友從我遊 親友 我に従いて遊ぶ
中廚辦豐膳 中廚 豊膳を辦(ととの)え
烹羊宰肥牛 羊を烹(に) 肥牛を宰(ほふ)る
秦箏何慷慨 秦箏(しんそう)何ぞ慷慨せる
齊瑟和且柔 斉瑟(せいしつ)和して且つ柔なり
陽阿奏奇舞 陽阿 奇舞を奏し
京洛出名謳 京洛 名謳を出だす
樂飲過三爵 楽しみ飲みて三爵を過ぎ
緩帶傾庶羞 帯を緩めて 庶羞を傾く
主稱千金壽 主は称す 千金の寿
賓奉萬年酬 賓は奉ず 万年の酬
この高殿に酒宴の用意をし
親友たちと共に楽しみを尽くす
調理場ではさまざまな料理でもてなすために
羊を煮たり肥えた牛をさばいたりしている
秦の国の箏は高ぶる想いを奏で
斉の国の瑟は和やかでやわらかな調べ
陽阿の舞は世に優れたものだし
洛陽の歌もまた見事なものだ
楽しく飲んで つい三杯の酒を過ぎ
帯を緩めてたくさんの酒のさかなを平らげる
主人は客に「千年の寿」をことほぎ
客はそれに対して「万年の寿」と応えた
【『箜篌引』】「箜篌」は「くご」または「こうこう」と読まれ、西域伝来のハープのような楽器。この作品は、平原侯(20歳)あるいは臨淄侯(23歳)に叙された際の祝宴で作られたという説があるが、20歳代前半の意気揚々とした時代に作られたにしては、後半の死を連想する言葉を多用するあたりに違和感を感じる。少なくとも215年よりは後の作だろう。『曹植集校注』では、太和5年の『求通親親表』より後に書かれたとしている。 【秦の国の箏】秦の蒙恬(もうてん)がはじめたとされる12絃の琴。 【斉の国の瑟】瑟は25絃以上の大きい琴。『史記』「蘇秦伝」に臨淄(斉の首都)の豊かな生活を表現するため、臨淄の民で様々な楽器や遊戯を楽しまない者はいないとし、その中の一つに「鼓瑟(瑟を演奏する)」が出てくる。 【洛陽】原文「京洛」。魏が洛陽を首都としたので「京洛」といった。 

久要不可忘 久要 忘る可からず
薄終義所尤 終わりに薄きは義の尤むる所
謙謙君子德 謙謙たり君子の德
磬折欲何求 磬折して何をか求めんと欲する
驚風飄白日 驚風 白日を飄えし
光景馳西流 光景 馳せて西に流る
盛時不可再 盛時 再びす可からず
百年忽我遒 百年 忽ち我に遒(せま)る
生存華屋處 生存しては 華屋に処り
零落歸山丘 零落しては 山丘に帰る
先民誰不死 先民 誰か死せざらん
知命復何憂 命を知らば 復た何をか憂えん
昔の約束は忘れてはいけないものだし
後から薄情になるのは道義上非難されるぺきことだ
へりくだるのが君子の徳だとしても
ぺコぺコと身を屈めてばかりで何を求めようというのか
突風は輝く太陽をひるがえし
日の光は西の果てに消えようとしている
人生の盛りは二度とくるものではない
百年の寿命もあっという間に私にせまってきた
生きている時は豪華な家に住んでいても
死ねば誰しも山丘の墓へ帰るものだ
人は誰しも生まれて死なぬ者はいない
そのことを理解していればいたずらに憂慮することなどないはずだ  

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