( 一 )
氣 念 千 中 不 遊 荒 側 但 不 荊 垣 宮 洛 遙 歩 結 我 里 野 識 子 疇 足 覩 見 棘 牆 室 陽 望 登 不 平 無 何 陌 久 不 無 新 舊 上 皆 盡 何 洛 北 能 常 人 蕭 與 不 復 行 少 耆 參 頓 焼 寂 陽 芒 言 居 煙 條 阡 歸 田 徑 年 老 天 擗 焚 寞 山 坂 |
歩登北芒坂 歩みて北芒の坂を登り 遙望洛陽山 遙かに洛陽の山を望む 洛陽何寂寞 洛陽 何ぞ寂寞たる 宮室盡焼焚 宮室 尽く 焼焚す 垣牆皆頓擗 垣牆 皆 頓れ擗け 荊棘上參天 荊棘 上って天に参わる 不見舊耆老 旧耆老を見ず 但覩新少年 但だ新少年を覩るのみ 側足無行徑 足を側つるに行径なく 荒疇不復田 荒疇 復た田さず 遊子久不歸 遊子 久しく帰らず 不識陌與阡 陌と阡とを識らざらん 中野何蕭條 中野 何ぞ蕭条たる 千里無人煙 千里 人煙無し 念我平常居 我が平常の居を念い 氣結不能言 気 結ばれて 言うこと能わず |
歩いて北芒(ほくぼう)の坂を登り 洛陽をとりまく山々をはるかに眺める 洛陽はなんとさびしいことよ 宮殿はことごとく焼き払われ 垣根も塀もすべて崩れ落ちてしまった ただイバラのみが生い茂り 天にも届かんばかり 街には昔を知る老人は見当たらず 見知らぬ若者たちが行き交うばかり つま先立ちで歩くほど足の踏み場もなく 荒れ放題の田畑は ふたたび耕される様子もない 異郷を旅していた君には 道の東西さえ見分けられないほどだろう 荒野に立てば 茫漠と広がる大地よ 千里の彼方まで一筋の人煙すらみえない 君がかつて過ごした屋敷を思い出せば 気持ちがふさがって言うべき言葉も見つからないだろう |
【応氏を送る(2首)】応氏は河南汝南の人。兄は応瑒(おうとう/?-217年)、弟は応璩(おうきょ/190-252年 )。兄応瑒は平原侯庶子として、曹植に仕えていたが、五官将文学(曹丕の属官)に転任することになった。211年、馬超征伐に向かった曹操に従い、曹植は洛陽入りしていたが、曹丕は鄴の守備をまかされていた。曹植のもとを去って、都に引き返す応瑒を送別するに当ってこの作品を作った。応瑒には『別詩二首』という作品が残っていて、この曹植の二首と呼応するところがあり、互いに作品を送りあって別れを惜しんだことがうかがえる。 【北芒】洛陽の東北にある山。後漢以降、この地に王侯貴族の墓が集まっていた。 【焼き払われ】後漢の首都は洛陽だったが、190年、董卓は洛陽を焼き払って、長安に遷都した。 【道の東西】原文「陌與阡」。陌(はく)は東西に走る道、阡(せん)は南北に走る道。 【君がかつて過ごした屋敷】原文「我平常居」。君がかつて住んでいた家。この場合、「我」は応氏と解す。応瑒の父は後漢の司空掾で、応氏はかつて洛陽で暮らしていた。別に「我平生親」で作っている場合がある。こちらだと「我」は曹植で、「私の親しい人(=応氏)と別れることを思えば」の意味になる。
( 二 )
施 願 別 山 豈 愛 賓 中 置 親 我 願 人 天 嘉 清 翮 爲 促 川 不 至 飲 饋 酒 昵 友 得 命 地 會 時 起 比 會 阻 愧 望 不 豈 此 竝 之 展 若 無 不 難 高 翼 日 且 中 苦 盡 獨 河 集 朔 嬿 朝 終 可 屡 翔 鳥 長 遠 腸 深 觴 薄 陽 送 方 婉 霜 極 常 得 |
清時難屡得 清時 屡ゝ得難く 嘉會不可常 嘉会 常にはす可からず 天地無終極 天地 終極無く 人命若朝霜 人命 朝霜の若し 願得展嬿婉 願わくは 嬿婉を展ぶるを得ん 我友之朔方 我が友 朔方に之く 親昵竝集送 親昵 並び集いて送り 置酒此河陽 酒を此の河陽に置く 中饋豈獨薄 中饋 豈 独り薄からんや 賓飲不盡觴 賓 飲むに 觴を尽くさず 愛至望苦深 愛 至りて 望み苦だ深し 豈不愧中腸 豈 中腸に愧じざらんや 山川阻且遠 山川 阻たり且つ遠く 別促會日長 別れ促りて 会日 長し 願爲比翼鳥 願わくは 比翼の鳥と為り 施翮起高翔 翮を施べ起ちて高く翔けらん |
平穏な時は しばしば訪れるものではなく 心嬉しい会合にも なかなかめぐり会えない 天地自然は永遠に変わらないが 人の生命は朝におりる霜のようなもの この友情は変わるものではないが わが友は北方へ旅立っていく 別れをつげようと親友はこぞって集まり ここ河陽の地で送別の宴をはる 酒の肴がとぼしいわけではないが 君の杯は やはりすすまないようだ 君との親しさを考えれば私に寄せた期待も大きかっただろう いまは報いえなかった無力な自分を情けなく思っている これから 互いに険しい山河で隔てられることになるだろう 別れの時は迫り 再会できるのは一体いつになるだろう できるならこのまま離れずに並び飛ぶ鳥となって 翼を広げ君とともに大空高く翔け巡りたい |
【河陽の地】河南の河陽県。 【私に寄せた期待】僻地への転勤を取りやめるように、人事に働きかけること。(一)と同時の作とすれば、辻褄の合わない所があり、2首は同時の作ではないとする説もある。曹植兄弟たちは、当時この手の口利きをよく依頼されたようだ。例えば、兄曹丕は人事担当の毛玠(もうかい)に、「身内としてかわいがっている者を推挙して欲しい」と頼んだが、「昇進の順序に当っていない」と断られたという記事がある(『三国志』「毛玠伝」)。 また曹植は、同じく人事担当だった崔琰(さいえん)の兄の娘婿だったため、この手の依頼は盛んにあったようだ。 【離れずに並び飛ぶ鳥】原文「比翼鳥」。雌雄がそれぞれ方の目・翼・足を持ち、体が一つになって一緒に飛んでいるという伝説の鳥(『爾雅』「釈地」)。普通は夫婦とか、恋愛対象に使われる。