『洛神の賦』

黄初三年、余朝京師、還濟洛川。古人有言、斯水之神、名曰宓妃。感宋玉對楚王説神女事、遂作斯賦。其辭曰、 黄初三年、余 京師に朝し、還りて洛川を済る。古人 言える有り、斯の水の神、名は宓妃(ふくひ)というと。宋玉の楚王に対えて神女の事を説けるに感じ、遂に斯の賦を作れり。其の辞に曰く、  黄初三年、私は朝廷に参内し、帰途洛水を渡った。古人の言い伝えでは、この川の神の名を宓妃というとのことである。私は、かつて宋玉が楚の襄王に神女の事を説いたことに思い起こして、この賦を作った。それは以下の通りである。
 【『洛神賦』】この作品の制作動機については、古来有名な説がある。『文選』李善注が引く『感甄記』によると、この洛水の女神のモデルは兄曹丕の妻甄氏であるという。 甄氏(182~221)は、曹操と対立していた袁紹の次男袁熙の妻だった。しかし、袁氏の本拠地鄴を落とした時、曹丕が自分の妻にした。この時、曹植も彼女を妻にと望んだが、結局叶えられなかった。 時は流れて、甄氏は曹丕の寵愛が衰えたため、不幸にも死を賜わった。 甄氏の死後、曹植が洛陽に参内したところ、文帝は、甄氏の枕を取り出し、それを弟に与え、曹植はそれを見て涙を流した。その帰途、曹植が洛水にさしかかった時、甄氏の幻影が現われ、彼女も本当は曹植を愛していたと伝えた。甄氏の姿が消えた後、曹植は感極まって、この賦を作ったという。よって、この賦のタイトルは、最初『感甄賦』だったが、明帝(曹丕と甄氏の息子)の目に触れるところとなり『洛神賦』に改められた―――。しかし、多くの学者が、この話は悲劇の美女・甄氏と悲劇の王子・曹植への同情からうまれた後世の人の附会だろうとしている。理由として、時代が新しい書物にしかこの手の記述がないこと、あまりに話が俗っぽいこと、また二人の年齢差(曹植は10歳年下)があげられる。この説は広く流布していたらしく、晩唐の詩人 李商隠(813~858)は、その作品の中で「宓妃 枕を留めて 魏王は才有り」とよんだ。 もう一つの説は、女神=文帝説。女神への愛情とだぶらせて、兄に対する変わらぬ思慕を伝えようとしたらしい。が、こちらも根拠があるわけではない。それに「女神=曹丕」にしては、女神の身体描写が執拗に過ぎる気がしないでもない。 「モデルが誰か」問題とともに、制作年代も諸説ある。序によると、黄初3年(222年)、洛陽から鄄城への帰途、洛水を渡って作ったことになっているが、序は本人のものではないという説もあり、本文の内容から明らかになることは、曹植が王に格上げされて(222年4月)以降で、洛陽に入朝した帰路で作られたということになる。これは『三国志』によると、223年の洛陽入りしか記録がないが、史書から漏れているだけで、曹植は222年にも参内した(王に封じられたことに感謝するため)という説がある。しかし222年は、文帝がほとんど洛陽にいないから、洛陽で朝見した事実はないだろう。仮に史書の記録を優先して223年に作られたとすると、223年6月に伊水と洛水が氾濫して、流域で家屋が流され、多くの人民が犠牲になるという天災にみまわれており、洛水に溺死したとされる宓妃の悲恋を賦したのは、それと何らかの関連があるかもしれない。まあでも、動機がなんであれ、モデルが誰であれ、洛神賦が名作であることに変わりはない。→女神モデルに関する管理人の個人的意見はこちら。 【洛水】洛陽の南を流れる川。黄河に流れこむ。洛陽は、この洛水の北(=陽)に位置することから、この名が付けられた。 【宓妃】洛水の女神。「宓妃は宓(あるいは伏)義氏(=古代の伝説上の皇帝)の女(むすめ)にして、洛水に溺死して神となる」(『文選』李善注)。「宓妃」は、古いものでは『楚辞』「 離騒」に登場する。それ以降、曹植がこの賦を作る以前にも、揚雄『甘泉賦』、蔡邕『述行賦』などに登場する。 【神女の事】宋玉(紀元前290?~222)の『高唐の賦』『神女の賦』を指す。『高唐の賦』は楚の襄王に向かって、先王が巫山の女神と夢でちぎった話をして、高唐のさまを語り聞かせ、『神女の賦』は、その夜、楚の襄王が夢の中で邂逅した神女の様子を賦したという構成になっている。ただし、この作品の女神は「宓妃」ではない。また、陳琳・王粲・楊脩にも『神女賦』(『芸文類聚』「巻79 霊異部 神」)がある。 

余從京城、言歸東藩。背伊闕、越轘轅、經通谷、陵景山。日既西傾、車殆馬煩。爾迺税駕乎衡皐、秣駟乎芝田、容與乎陽林、流眄乎洛川。於是精移神駭、忽焉思散。俯則未察、仰以殊觀。覩一麗人于巌之畔。迺援御者而告之曰、爾有覿於彼者乎。彼何人斯若此之艷也。御者對曰、臣聞河洛之神、名曰宓妃。然則君王所見、無迺是乎。其状若何、臣願聞之。余告之曰、 余 京城従り、言 東藩に帰る。伊闕を背にし、轘轅(かんえん)を越え、通谷を経て、景山に陵る。日は既に西へ傾き、車は殆れ 馬は煩う。爾して迺ち駕を衡皐に税し、駟たちを芝田に秣い、陽林に容与し、洛川を流眄す。是に於て 精 移り 神 駭き、忽焉として思い散ず。俯しては則ち未だ察せざるも、仰ぎて以て観を殊にす。一麗人を巌(いわお)の畔に覩る。迺ち御者を援きて之に告げて曰く、爾は彼の者を覿たること有りや。彼は何人にして此くの若く艶なるや。御者 対えて曰く、臣聞く 河洛の神、名づけて宓妃と曰う。然らば則ち君王の見し所は、迺ち是れ無からんや。其の状 若何、臣 願わくは之を聞かん。余 之に告げて曰く、  私は都より、東のわが領土に帰ろうとしていた。伊闕をあとにし、轘轅山を越え、通谷を経て、景山に登った。日はすでに西に傾き、車は傷み、馬は疲れた。そこで車を香草繁る沢にとどめ、馬たちに霊芝が生えている場所で飼葉を与え、やなぎの生い茂る林で休息し、洛水を眺めていた。やがて、こころは別世界に誘われ、思いは遥か彼方に飛翔していく。それとなく眺めている間は気付かなかったが、顔を上げて目を凝らせば、ひとりの麗人が巌の傍らに立っていた。そこで私は御者を引きよせ、彼に尋ねた。
「おまえにも彼女が見えるかね。一体何者だろう、あのように美しいお方は」
 御者は答えて言った。
「洛水の神で、宓妃という方がいらっしゃると聞いております。王がご覧になっているのは、その女神ではありませんか。そのご様子はいかがなものでしょう。私にもお聞かせ願いたいものです」
 私は彼にこう告げた―――
【伊闕・轘轅山・通谷・景山】すべて洛陽近くの地名。 【やなぎの生い茂る林】「陽林」は「楊林」が転じて地名となったという。やなぎの群棲地か。「楊」は「柳」とちがって枝が垂れない。 
其形也、翩若驚鴻、婉若遊寵、榮曜秋菊、華茂春松。髣髴兮若輕雲之蔽月、飄颻兮若流風之迴雪、遠而望之、皎若太陽升朝霞、迫而察之、灼若芙蓉出淥波。襛繊得衷、脩短合度。肩若削成、腰如約素、廷頸秀項、皓質呈露。芳澤無加、鉛筆弗御、雲髻峩峩、脩眉聯娟。丹脣外朗、皓齒内鮮、明眸善睞、靨輔承權。瓌姿豔逸、儀靜體閑。柔情綽態、媚於語言。奇服曠世、骨像應圖。披羅衣之璀粲兮、珥瑤碧之華琚、戴金翠之首飾、綴明珠以耀躯。踐遠遊之文履、曳霧綃之輕裾、微幽蘭之芳藹兮、歩踟蹰於山隅。 其の形や、翩たること驚鴻の若く、婉たること遊寵の若し、秋菊より栄曜き、春松より華やかに茂る。髣髴たること軽雲の月を蔽うが若く、飄颻たること流風の雪を迴らすが若し、遠くして之を望めば、皎 太陽の朝霞より升るが若し、迫りて之を察れば、灼として芙蓉の淥波より出づるが若し。襛繊 衷ばを得、脩短 度に合す。肩は削り成せるが若く、腰は素を如約ねたるが如し、廷びたる頸 秀でたる項、皓き質 呈露す。芳澤 加うる無く、鉛筆 御せず、雲髻 峩峩として、脩眉 聯娟たり。丹脣 外に朗り、皓齒 内に鮮やか、明眸 善く睞し、靨輔 権に承く。瓌姿は豔逸にして、儀は静かに体は閑なり。柔情 綽態、語言に媚あり。奇服 曠世にして、骨像 図に応ず。羅衣の璀粲たるを披り、瑤碧の華琚を珥にし、金翠の首飾りを戴き、明珠を綴りて以て躯を耀かす。遠遊の文履を踐み、霧綃の軽裾を曳き、幽蘭の芳藹たるに微れ、歩みて山隅に踟蹰す。  その姿かたちは、不意に飛びたつこうのとりのように軽やかで、天翔る竜のようにたおやか。秋の菊よりも明るく輝き、春の松よりも豊かに華やぐ。うす雲が月にかかるようにおぼろで、風に舞い上げられた雪のように変幻自在。遠くから眺めれば、その白く耀く様は、太陽が朝もやの間から昇って来たかと思うし、近付いて見れば、赤く映える蓮の花が緑の波間から現われるようにも見える。肉付きは太からず細からず、背は高からず低からず、肩は巧みに削りとられ、白絹を束ねたような腰つき、長くほっそり伸びたうなじ、その真白な肌は目映いばかり。香ぐわしいあぶらもつけず、おしろいも塗っていない。豊かな髷はうず高く、長い眉は細く弧を描く。朱い唇は外に輝き、白い歯は内に鮮やか。明るい瞳はなまめかしく揺らめき、笑くぽが頬にくっきり浮かぶ。たぐい稀な艶やかさ、立居振舞いのもの静かでしなやかなことこの上ない。なごやかな風情、しっとりした物腰、言葉づかいは愛らしい。この世のものとは思われない珍しい衣服をまとい、その姿は絵の中から抜け出してきたかのよう、きらきらひかる薄絹を身にまとい、美しく彫刻きれた宝玉の耳飾りをつけ、頭上には黄金や翡翠の髪飾り、体には真珠を連ねた飾りがまばゆい光を放つ。足には「遠遊」の刺繍のある履物をはき、透き通る絹のもすそを引きつつ、幽玄な香りを放つ蘭の辺りに見え隠れし、ゆるやかに山の一隅を歩んでいく。



於是忽焉縱軆、以遨以嬉。左倚采旄、右蔭桂旗。攘皓腕於神滸兮、采湍瀬之玄芝。余情悦其淑美兮、心振蕩而不怡。無良媒以接懽兮、託微波而通辭。願誠素之先達兮、解玉佩以要之。嗟佳人之信脩兮、羌習禮而明詩。抗瓊珶以和予兮、指潜淵而爲期。執眷眷之款實兮、懼斯靈之我欺、感交甫之棄言兮、悵猶豫而狐疑。収和顔而靜志兮、申禮防以自持。 是に於て忽焉として体を縱にし、以て遨び以て嬉しむ。左は采旄に倚り、右は桂旗に蔭る。皓腕を神滸に攘げ、湍瀬の玄芝を采る。余が情 其の淑美を悦ぶも、心 振蕩して怡ず。良媒の以て懽を接うる無く、微波に託して辞を通ぜん。誠素の先ず達せんことを願い、玉佩を解きて以て之を要す。嗟 佳人の信に脩き、羌 礼に習いて詩に明らかなり。瓊珶を抗げて 以て予に和し、潜淵を指して期と為す。眷眷たる款実を執るも、斯の霊の我を欺かんことを懼れ、交甫の言を棄つるに感じ、悵として猶予して狐疑す。和顔を収めて志を静め、礼防を申べて以て自らを持す。  やがて突然、身も軽やかに遊びたわむれる。左に色どりある旗に寄り添ったかと思えば、右に桂の竿の旗に身を隠す。神のおわします汀(みぎわ)で白い腕を露わにし、たぎる早瀬の玄(くろ)い霊芝を摘む。私の心は その滑らかな美しさに惹かれつつ、胸は不安に高鳴って落ち着かない。ここには私の想いを伝える適当な仲人がいないから、せめて小波(さざなみ)に託して この気持ちを届けよう。何より私の真心が彼女に伝わるように。この身におびた玉を解いて、心の証としよう。 ああ、佳人のなんとすばらしいこと、奥ゆかしくも礼儀をたしなみ、詩の道にも明るい。美しい玉をかざして、私にこたえ、深い淵を指さして誓いをたててくれた。私は切々たる慕情を抱いているが、一方で、この女神が欺くのではないかと不安を覚えた。鄭交甫が女神から約束を反故にされた話を思い出し、心は沈み、疑いは晴れずためらう。そこで表情を改めて、心を平静にし、礼法に従って自らを保った。
【私の真心が彼女に伝わる】原文「誠素之先達」。女神のモデルが甄氏だとする説では、この部分を、曹丕に先んじて甄氏を妻としたいという願望だと解する。ここでは一応、そういう欲求や俗っぽい気持ちは後回しにして、とにかく自分の純粋な愛情が伝わって欲しいという意味に解してみた。 【鄭交甫が女神から約束を反故にされた話】鄭交甫は、漢水のほとりで江妃二女(長江の女神)と言葉を交わし、佩玉を貰い受けたが、数十歩あるいたところで懐の佩玉は消え失せ、女神の姿も見えなくなった(『列仙伝』)。  
於是洛靈感焉、徙倚傍徨、神光離合、乍陰乍陽。竦輕躯以鶴立、若將飛而未翔。踐椒塗之郁烈、歩衡薄而流芳。超長吟以永慕兮、聲哀厲而彌長。爾迺衆靈雑遝、命儔嘯侶。或戲清流、或翔神渚、或采明珠、或拾翠羽。從南湘之二妃、攜漢濱之游女。歎匏瓜之無匹兮、詠牽牛之獨處。揚輕袿之猗靡兮、翳脩袖以延佇。體迅飛鳧、飄忽若神。陵波微歩、羅韈生塵。動無常則、若危若安。進止難期、若往若還。轉眄流精、光潤玉顏。含辭未吐、氣若幽蘭。華容婀娜、令我忘餐。 是に於いて洛の霊は焉に感じ、徙倚傍徨し、神光は離合し、乍ち陰く乍ち陽し。軽躯を竦げて以て鶴のごとく立ち、将に飛ばんとして未だ翔けざるが若し。椒塗の郁烈たるを踏み、衡薄に歩みて芳を流す。超えて長吟して永く慕い、声は哀しく厲しくして弥いよ長し。爾して迺ち衆霊は雑遝して、儔に命じ侶に嘯く。或いは清流に戯れ、或いは神渚に翔けり、或いは明珠を采り、或いは翠羽を拾う。南湘の二妃を従え、漢浜の游女を攜う。匏瓜(ほうか)の匹無きを歎き、牽牛の独り処るを詠す。軽袿の猗靡たるを揚げ、脩袖を翳して延佇す。体は飛びたつ鳧より迅く、飄忽なること神の若し。波を陵ぎて微かに歩めば、羅韈 塵を生ず。動くに常則無く、危きが若く安きが若し。進止 期し難く、往くが若く還るが若し。転じて眄れば精を流し、玉顏を光潤にす。辞を含みて未だ吐かず、気は幽蘭の若し。華容 婀娜として、我をして餐を忘れしむ。  すると洛水の女神は、私の態度に感じ入り、立ち去る様子もなく辺りをさまよう。その神神しい光は、姿が見え隠れするにつれ、時に暗く、時に明るく変化する。軽やかな体を伸ばして、鶴のように爪先立ち、まるで今にも飛びたとうとしてとどまっているかのよう。山椒のしげる道を歩けば、馥郁(ふくいく)たる香りが生じ、香り草の群れる草原を行けば、芳香が辺りに漂う。悲しげに長く尾を引く彼女の歌声は、永久の想いへと誘(いざな)い、哀調にみちた声はいつまでも続く。そのうちに神々はつどい集まり、互いに仲間を呼びあって、滑らかな流れに戯れたり、聖なる渚に飛び翔って、真珠を採ったり翡翠の羽を拾ったりしている。はるか湘水より、二人の妃が馳せ参じ、漢水に遊ぶ女神と手を取り合う。私を天に一人かかる匏瓜星のようだと嘆かれ、牽牛星のように孤独だと歌われる。女神は風にそよぐ軽やかな打掛けを翻し、長い袖をかざして、こちらをじっと見つめる。体は飛びたつ鴨よりも素早く、さながら神霊にふさわしくふわふわととらえどころがない。波を踏んでゆるやかに歩めば、薄絹の足下より塵が立ちのぼる。動作にはまるで筋道がなく、崩れそうであり、また揺るぎ無いようでもある。いつ進み、いつ止まるとも予期できない。去って往くようでもあり、戻って来るようでもある。流し目すれば、強烈な光を生じ、玉のような顔は艶やかさを増し、唇はもの言いたげ、息づかいは幽蘭のように芳しい。美しくしなやかなその姿は、食事することさえ忘れさせるほどだ。
【牽牛星のように孤独】「牽牛」はわし座のアルタイル。「織女(琴座のヴェガ)」とは銀河の両側に離れていて、7月7日に会えるだけ。 
於是屏翳收風、川后静波。馮夷鳴鼓、女媧清歌。騰文魚以警乘、鳴玉鸞以偕逝。六龍儼其齊首、載雲車之容裔。鯨鯢踊而夾轂、水禽翔而爲衛。於是越北沚過南岡、紆素領迴清揚、動朱脣以徐言、陳交接之大綱。恨人神之道殊兮、怨盛年之莫當。抗羅袂以掩涕兮、涙流襟之浪浪。悼良會之永絶兮、哀一逝而異郷。無微情以效愛兮、獻江南之明璫。雖潜處於太陰、長寄心於君王。忽不悟其所舎、悵神宵而蔽光。 是に於いて屏翳は風を収め、川后は波を静む。馮夷は鼓を鳴らし、女媧は清歌す。文魚を騰げて乗を警め、玉鸞を鳴らして偕に逝く。六龍 儼として其れ首を斉しくし、雲車の容裔たるに載る。鯨鯢 踊りて轂を夾み、水禽 翔りて衛を為す。是に於いて北沚を越え 南岡を過ぎ、素領を紆し 清揚を迴し、朱脣を動かして徐に言い、交接の大綱を陳ぶ。人神の道の殊なるを恨み、盛年の当る莫きを怨む。羅袂を抗げて涕を掩い、涙 襟に流れて浪浪たり。良会の永く絶ゆるを悼み、一たび逝きて郷を異にするを哀しむ。「微情以て愛を効す無ければ、江南の明璫を献ぜん。太陰に潜み処ると雖も、長く心を君王に寄す」と。忽ち其の舎まる所を悟らかにせず、悵として神 宵くして光を蔽いぬ。  ここにおいて、風の神は風をおさめ、川の神は波を静めた。憑夷は鼓をうち、女媧(じょか)は高くすんだ声で歌う、文魚は飛びあがって先駈けをつとめ、車は玉の鈴を鳴らしながら、一斉に発進する。六頭の竜は厳かに首をもたげ、女神の雲の車をゆるやかに引く、鯨は躍りあがって左右を守り、水鳥は天翔けて護衛する。 ついに北の中洲を越え、南の丘を過ぎると、女神は白いうなじを巡らし、すずやかな瞳を振り向け、朱い唇を動かし、静かに男女の定めを説いた。そして、悲しいかな人と神の道は交わることなく、供に幸せな時間を過ごすことは許されないと嘆くと、薄絹の袖をあげて咽(むせ)び泣き、涙ははらはらと襟にこぼれ落ちる。これから先は逢瀬の途絶えてしまうことを悲しみ、ひとたびここを去れば、住む世界を異にすることを哀しんだ。
「これより先は、ささやかな愛の言葉も語れません。今、江南の真珠の耳玉をさし上げましょう。たとえ、鬼神の住む世界に隠れる身となっても、いつまでも君を想っています」
 そう言い残すと、女神の姿は見えなくなり、悲しくも幽暗のうちに、その光芒を沈めてしまった。
【憑夷】水神の名、河伯のこと。『清冷伝』に、「憑夷は華陰潼郷隄首の人なり。八石を服して水仙たるを得たり。これを河伯と為す」 【女媧】上古の女帝、媧皇ともいう。(『礼記』「明堂位」) 
於是背下陵高、足往神留。遺情想像、顧望懐愁。冀靈體之復形、御輕舟而上遡、浮長川而忘反、思緜緜而増慕。夜耿耿而不寐、霑繁霜而至曙。命僕夫而就駕、吾將歸乎東路。攬騑轡以抗策、悵盤桓而不能去。 是に於いて下きを背にし高きに陵れば、足は往くも神は留まる。情を遺して想像やり、顧み望みて愁いを懐く。霊体の復形冀い、軽舟を御して上遡り、長川に浮かびて反るを忘れ、思いは緜緜として慕うを増す。夜 耿耿として寐られず、繁霜に霑れて曙に至る。僕夫に命じて駕に就かしめ、吾 将に東路へ帰らんとす。騑の轡を攬りて策を抗げ、悵として盤桓として去ること能わず。  かくして私は、低い水辺をあとにし、高みへ登っていく。足は進むが、心はあとに残る。募る想いは押さえ切れず、女神の姿を思い描き、何度も振り返ってみては、また愁いに閉ざされる。再び女神が現れてくれることを願いながら、小舟をあやつり、流れを溯り、どこまでも漕いで行き、帰ることさえ忘れてるほどに、恋い慕う気持ちはますます募り、夜がふけても心は休まらない。いつまでも寝付けないまま、気がつくと激しい霜に身を濡らし、いつの間にか朝を迎えていた。私は御者に命じて車の準備をさせ、ついに東への帰路に旅立とうと心に決めた。そこで副え馬の手綱を取り、鞭をくれようと手をあげたが、胸がふさがって思い切りがつかず、いつまでも立ち去ることが出来ずにいた。
【流れを溯り】『詩経』「秦風 蒹葭(けんか)」に、「蒹葭 采采たり、白露 未だ巳まず。謂(おも)う所 伊(か)の人、水の一方に在り。遡迴して之に従わんとすれば、道阻(けわ)しく且つ長し。遡游して之に従わんとすれば、宛(さなが)ら水の中央に在り」とある。 

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