『朔風(さくふう)』


愧 誰 遊 豈 何 臨 誰 絃 桂 秋 豈 君 秋 繁 豈 子 今 昔 天 千 載 風 仰 俯 素 今 朱 昔 脱 別 懸 四 翻 願 思 凱 倏 願 用 仰
無 忘 非 無 爲 川 與 歌 樹 蘭 云 不 霜 華 忘 好 永 我 阻 仞 離 飄 登 降 雪 我 華 我 若 如 景 氣 飛 随 彼 風 忽 騁 懐 彼
榜 汎 我 和 汎 慕 消 蕩 冬 可 其 垂 悴 將 爾 芳 乖 同 可 易 寒 蓬 天 千 云 旋 未 初 三 俯 運 代 南 越 蠻 永 北 代 魏 朔
人 舟 鄰 樂 舟 思 憂 思 榮 喩 誠 眷 之 茂 貽 草 別 袍 越 陟 暑 飛 阻 仞 飛 止 希 遷 秋 仰 周 謝 翔 鳥 方 至 徂 馬 都 風



仰彼朔風 彼の朔風を仰ぎ
用懐魏都 用て魏都を懐う
願騁代馬 願わくは代馬を騁せて
倏忽北徂 倏忽として北に徂かん
凱風永至 凱風 永かに至り
思彼蠻方 彼の蛮方を思う
願随越鳥 願わくは越鳥に随い
翻飛南翔 翻飛して南に翔けらん
北風を仰げば
魏の都が懐かしい
叶うなら代馬を走らせ
瞬時のうちに北をめざして駆けて行きたい
南方から風が遥かこの地まで吹いてくる
仇敵呉国を思い浮かべ
越の国の鳥につき従って
私は南に翔けて遠征に赴きたいと願う
【『朔風』】朔風は北風のこと。この作品の制作年代は諸説あって、建安年間(但し217年以降)説、黄初4年(223年)説、黄初6年(225年)説、太和2年(228年)説、東阿王時代(229~232)説など様々である。 【魏の都】「魏都」が洛陽なのか鄴(ぎょう)なのかが問題になるが、北風を仰いで思い出すというから、位置的には鄴のことであろう。また、曹植が「魏都」を懐かしいと感じるのだから、あまり思い出のない洛陽より、青春時代の大半を過ごした鄴の可能性が高い。建安年間説では、216~217年の呉征伐で建安七子が相次いで亡くなったこと嘆いた作品だと解釈される。続いて呉征伐の抱負を述べている点からも、この説は説得力があると言える。『王仲宣誄』によると、曹植は王粲の柩が鄴(原文では「魏京」と記される)へ旅立つのを見送っている。ただ、洛陽に遷都した黄初年間以降でも、これを読んだ人が「魏都」=鄴と連想できるなら、建安年間にこだわる必要はない。それに、北風に事寄せて懐かしく思い出しているのだから、すでに鄴を去った後の作品であるとする方が自然である。黄初6年(225年)説では、文帝(曹丕)が呉遠征の帰りに曹植のもとに立ち寄ったことと関連して、この作品を作ったとされる。曹植が文帝に献上した『責躬詩』『応詔詩』はともにクラシカルな四言詩で、この『朔風』も曹植作品の中では数少ない四言詩であるという点も、この詩の持つ意味を暗示しているようである。 【代馬】代郡産の馬。『後漢書 班超伝』の李賢注に『韓詩外伝』からの引用で「代馬依北風」とあり、『塩鉄論』の未通第15にも「代馬依北風、飛鳥翔故巣」とある。代郡は北方にあることから、代郡の馬は北風が吹くと、故郷を懐かしむという。 

四氣代謝 四気 代謝し
懸景運周 懸景 運周す
別如俯仰 別れは俯仰の如く
脱若三秋 脱やかなること 三秋の若し
昔我初遷 昔 我れ初めて遷りしとき
朱華未希 朱華 未だ希れならず
今我旋止 今 我れ旋れり
素雪云飛 素雪 云に飛ぶ
四季は移り変わり
日月は循環をくりかえす
別れは一瞬のうちに訪れ
それからは時間のたつのが緩やかで一日が三秋の如く感じられた
私がはじめてこの地に赴いたとき
赤い花がまだたくさん残っていた
いまこの地に戻ってみると
白い雪があたりに舞っている
【一日が三秋】『詩経』「王風 采葛(さいかつ)」に、「一日 見(あ)わざれば三秋の如し」とある。その注は、「三秋は九か月を謂うなり」。 【この地】当時の封地と想定されるが、制作年代がはっきりしない限り、これが「どの地」なのかはっきりしない。 

俯降千仞 俯して千仞を降り
仰登天阻 仰ぎて天阻に登る
風飄蓬飛 風 飄りて 蓬 飛び
載離寒暑 載ち寒暑を離たり
千仞易陟 千仞 陟り易く
天阻可越 天阻 越ゆ可し
昔我同袍 昔 我が同袍
今永乖別 今や 永く乖き別れぬ
うつむきながら深い谷に入り
顔を上げて天をかすめる険阻な山に登る
人の運命など風が吹けば飛ばされてしまう軽い蓬のようなもの
誰もがそんなふうに 歳月を重ねていく
深い谷を渡り
険しい山を越えて進もう
かつて私と枕を共にした親しい人とは
永遠の別れを迎えてしまったけれど
【軽い蓬】蓬は日本で言うところの「ヨモギ」とは違い、中国特有の植物。秋になると枯れて根元からすっぱり抜けて、まるまって風の吹くままにころがる。人生の無常をうったえる常套句。 【私と枕を共にした親しい人】「袍」は「わたいれ」。ここで言う「同袍」が誰なのかは説によって様々だが、曹丕・曹彰・曹彪などの兄弟と捉える。同じ「同袍」でも『古詩19首』の第16首では「同袍 我と違う」と夫婦を意味する。「同袍」の使用例として、最も有名な『詩経』「秦風 無衣」では、共に出陣する同志(友人)のことである。建安年間説のみは建安の七子らの友人を意味する。 

子好芳草 子 芳草を好む
豈忘爾貽 豈に爾に貽るを忘れざらんや
繁華將茂 繁華 将に茂らんとし
秋霜悴之 秋霜 之を悴らす
君不垂眷 君 眷を垂れざるも
豈云其誠 豈に其の誠を云さんや
秋蘭可喩 秋蘭 喩う可く
桂樹冬榮 桂樹 冬に栄さく
君は芳草(かおりぐさ)が好きだった
どうしてそれを贈ることを忘れよう
しかし これから多くの花が開こうとしていたときに
秋の霜が これを枯らしてしまった
たとえお目にかけられなくても
どうして忠誠をひるがえそうか
秋蘭は人知れず芳い香りを放つものだし
桂樹は厳しい冬にこそ美しく咲くという
【秋蘭】『楚辞』「離騒」に、「秋蘭を紉(つな)ぎて もって佩となす」。秋蘭は、清廉潔白に仕えることを意味する。 【桂樹】『楚辞』「遠遊」に、「桂樹の冬に栄さくを麗しとす」とある。 【(この段全体)】この8句は、どの説をとっても何が言いたいのかわかりにくい。また、1句目の「子」、2句目の「爾」、5句目の「君」を誰とするかで、大きく意味が違ってくる。 

絃歌蕩思 絃歌 思いを蕩すのみ
誰與消憂 誰と与にか憂いを消さん
臨川慕思 川に臨みて 慕い思うも
何爲汎舟 何が為にぞ 舟を汎べん
豈無和樂 豈に和楽 無からんや
遊非我鄰 遊ぶもの 我が隣に非ず
誰忘汎舟 誰が舟を汎ぶるを忘れんや
愧無榜人 愧ずらくは 榜人無し
琴を爪弾き歌をうたえば我が心は高ぶるが
誰とともに この憂いを消せばいいのか
川岸に立って君を深く想っても
いまの私は何のために船を浮かべたらよいだろう
いまでもにぎやかな宴はあるが
そこにいるのは私の仲間ではない
船を浮かべる楽しみを忘れたわけではないけれど
残念なことに私には船頭がいないのだ

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