『三良の詩』


哀 黄 一 長 臨 攬 殺 誰 既 生 三 秦 忠 功
哉 鳥 往 夜 穴 涕 身 言 沒 時 臣 穆 義 名
傷 爲 不 何 仰 登 誠 捐 同 等 皆 先 我 不
肺 悲 復 冥 天 君 獨 躯 憂 榮 自 下 所 可
肝 鳴 還 冥 歎 墓 難 易 患 樂 殘 世 安 爲



功名不可爲 功名は為す可からず
忠義我所安 忠義は我が安んずる所なり
秦穆先下世 秦穆(しんぼく) 先ず下世して
三臣皆自殘 三臣 皆自ら殘(そこな)う
生時等榮樂 生ける時は栄楽を等しくし
既沒同憂患 既に没して憂患を同じくす
誰言捐躯易 誰か言わん 躯を捐つるは易しと
殺身誠獨難 身を殺すことは誠に独り難し
攬涕登君墓 涕を攬(ぬぐ)いて君が墓に登り
臨穴仰天歎 穴に臨んで 天を仰ぎて歎く
長夜何冥冥 長夜 何ぞ冥冥たる
一往不復還 一たび往(ゆ)きて 復た還らず
黄鳥爲悲鳴 黄鳥(こうちょう) 為めに悲鳴す
哀哉傷肺肝 哀しい哉 肺肝を傷ましむ
功名が立てられるかどうかは天の意志に委ねられているとしても
忠義は我が心の頼みとするところである
かつて秦の穆公がこの世を去ったとき
三人の良臣はその死に殉じた
彼らは生きている時は主君と栄楽をともにし
死してはその憂患を同じくした
命を棄てることがたやすいなどと誰が言おう
我が身を犠牲にするのは実に困難なことだ
私は涙をふいて君の墓に登り
その墓穴を前に天を仰いで嘆くばかりだ
この土の下では永遠に暗い夜が続く
一度入ったものは、再び地上に還ることはできない
黄色のうぐいすは君のために悲しい声で鳴き
さらに深い哀しみが私の胸の奥に突き刺さる
【『三良の詩』】この詩は、父曹操の死に殉じることが出来なかったのを後悔して作ったという説や、『文帝誄』と重なる部分があることから兄曹丕の死に際して作ったものだという説や、215年の張魯征伐に従軍した際、穆公の墓を過ぎったときに作ったという説がある。王粲の『詠史詩』も同じテーマで作られている。  【功名が立てられるかどうかは…】『呂氏春秋』「慎人」に「巧名之立天也」とある。 【秦の穆公】春秋時代、秦の九代目の王(在位前659~前621)。有能な人材を登用して中原諸国に睨みをきかせ、「西戎の覇者」と称された。 【三人の良臣】子車(ししゃ)氏の子の奄息(えんそく)・仲行・鍼虎(かんこ)のこと。いずれも良臣の誉れ高い人物だったが、穆公の死に際し殉死した。(『春秋左氏伝』文公6年) 【黄色のうぐいす】原文は「黄鳥」。『詩経』「秦風・黄鳥」は、殉死した三人を哀れんで作られた一篇。 

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