|戻る|

『周成漢昭論』

成王昭帝、俱以襁褓之幼、託於冢宰、流言讒興。此其艱險相似者也。夫以發金縢然後垂泣、與計日力便覺詐書、明之遲速、既有差矣。且叔父兄子、非相嫌之處、異姓君臣、非相信之地。霍光罹人謗而不出、周公賴天變而得入。推此數者、齊本而論末、計重而況輕、漢昭之優周成甚明者也。成王秀而獲實、其美在終。昭帝苗而未秀、其得在始。必不得已而論二主、余與夫始者。
成王・昭帝は、俱に襁褓(きょうほ)の幼を以て、冢宰(ちょうさい)に託せられ、流言讒興す。此れ其の艱険(かんけん)相似たる者なり。夫れ以(おも)うに金縢を發(ひら)きて然る後 垂泣すると、日力を計り便ち詐書を覚るとは、明の遅速に、既に差有り。且つ叔父兄子は、相嫌うの処に非ず、異姓君臣は、相信ずるの地に非ず。霍光は人の謗りに罹(かか)りて出でず、周公は天変に頼りて入るを得。此の数者を推し、本を斉しくして末を論じ、重きを計りて軽きに況(くら)ぶれば、漢昭の周成に優るること甚だ明かなる者なり。成王は秀にして実を獲、其の美は終に在り。昭帝は苗にして未だ秀ならざるも、其の得たるは始に在り。必ず已むを得ずして二主を論ずれば、余は夫の始の者に与(くみ)す。
周の成王と漢の昭帝は、どちらも幼くして即位し、政治は重臣に委ねられたため、デマが飛び中傷が盛んになった。両者の困難さはよく似ている。そもそも金縢を開いてから涙を流すのと、普段の様子から考えてすぐに詐書であることを見抜いたのとでは、道理を理解することの遅速にすでに差がある。かつ叔父と兄の子(=成王と周公旦)はもともといがみあう相手ではないが、異姓の君臣(=昭帝と霍光)はもともと信じ合う立場にはない。霍光は誹謗されても外に出されることなく、周公は天が怒りをあらわにしたおかげで元に戻ることができた。これらのことから考えれば、そもそも同じ条件にそろえて結果を論じ、状況の困難さを考慮して比較するなら、漢の昭帝が周の成王より優れているのはたいへん明白なことである。成王は成長して中身が充実し、その美しさは最後に完成した。昭帝はまだ若くして成長する前であったが、始めの時点で立派に完成されていた。この二人の君主の優劣を論じなければならないのなら、私は始めから完全であった昭帝がより優れていると考える。
【『周成漢昭論』】『周成漢昭論』は『藝文類聚』巻12にあり、同巻に同タイトルの曹丕の作品がある。どちらも成王と昭帝の能力について比較し、昭帝をより高く評価する。また曹植も『成王漢昭論(※『太平御覧』巻447では『成王論』)』という作品を残している。 【成長して中身が充実】『論語』「子罕」に「苗而不秀者有矣夫、秀而不實者有矣夫。(訳:苗を植えても苗のまま穂が出ないものがあるし、穂が出ても実が充実しないものもある。) 」とある。

|戻る|

inserted by FC2 system